
昨年発売された新型iPad Pro。
第3世代となり、9.7→10.5→11と無駄を省き大型化された画面になったiPad Proは、都度改良が加えられ、ここまで正常に進化していると思えます。
発売以降、様々なメディアが第3世代のiPad Proを褒め称え、実際管理人も店頭で手に取った感じでは確実に旧型を古く見せるデザインセンスと合間って、一瞬「買い換えたいな」と思ってしまった次第です。
だが、しかし待てよ…。
本体を買い換えるということは、キーボードやアップルペンシルをも買い換えなければならないということ。
私が現在使っているiPad Proは10.5 256GB SIMフリー。
それを買い換えるとなると、
税込133,704円なり。
スマートキーボードは、
税込21,384円なり。
が、しかし管理人はスマートキーボードは否定的なので、パス。
痛いのがアップルペンシル。
税込15,660円なり。
それに加えて、実際にはケースやカバーなども必要になってくる。
本体とアップルペンシルだけでも」
税込149,364円なり。
これはもう、Windowsで言えばCore i7のクラムシェル型パソコンが買える価格である。
う”ーーーーーん。
ここで、第3世代の進化点を改めて検証してみる。
①進化1 ベゼルがなくなった分、同サイズでも画面が11インチになった。
②進化2 ホームボタンが廃止され、かつ顔認証となる。
③進化3 全面カメラエリア(ベゼル)がなくなった。
④進化4 充電端子がUSB-Cになった(電源やアクセサリーの共有が可能となる)。
⑤進化5 イヤホンジャックが廃止され、より薄型に。
⑥進化6 アップルペンシルがワイヤレス充電となり、本体横にマグネット装着可能。
⑦進化7 スマートキーボードが本体背面までを保護。視覚的には段差がなくなりスッキリ。
⑧進化8 CPUの処理速度が90%アップ。
とこんな感じでしょうか?
で、一点一点検証してみますと…
①②③に関して…
スマートにはなったけれども、個人的にはホームボタンは必要。
確実にログインし、簡単にホームに戻れる。
ベゼルがなくなった分だけ、横持ちにした際に指をかけるスペースがなくなってしまい却って不便になった。
顔認証って必要なの??
④に関して…
一体どんなアクセサリーを使うんだろう…。
基本的にパソコンがあれば、全てを賄えるはず。
繰り返し言いますが、まともな仕事をしている限りiPad Proだけでは何も完結しません。
⑤に関して…
これは明らかに改悪。
ブルートゥースヘッドセットを新たに買わなければならず、予算増し。
⑥に関して…
これは便利かもしれない。
キャップもなくなり、紛失の恐れもなく、デザインもスッキリとした。
が、旧型アップルペンシルでも十分。
しかも、ペン先のスペアまでも購入済み。
これだけで買い換える気になれません。
⑦に関して…
そもそもiPad Proに、重量をスポイルし、手持ち閲覧時により負担をかけるスマートキーボードに対して管理人は否定的。
メールの送受信だけなら、画面内のソフトウェアキーボードで十分。
また、確かに段差がなくなり、スタンド角度が2種類となり、かつ背面までをも保護できることは評価できるが、一方で、かつて3種類あったスタンド方式がなくなり、個人的には改悪ではないかと感じている。
⑧に関して…
うーん、これはすごい。
が、一体この性能を何に使うのだろうか(笑)
iPad Pro程度の機能で、この性能は単なる宝の持ち腐れ以外の他でもない。
マウスは使えない。
主だった有名ソフトは使えない。
Officeは中途半端。
近々パソコンなみの機能のPhotoshopが登場するらしいが、それならパソコン使えばいいじゃん(笑)
IllustratorもDreamweaverも使えないんだよ、まだ。
動画の編集だってMacBook Proの方が優れている。
第二世代のiPad Proでも十分ではないだろうか。
一番の無駄はこれか。
と、全てがこんな感じ。
管理人は、スペックの進化の必要性を否定するものではありません。
技術の進化は、いつの時代にも必要であり、そう努力することが私たちの生活をより豊かにすると思っています。
ただし、「今、必要か」ということとは別の話し。
もし、すでにMacBookを持っている人で、新たにiPad Proを補助具とすて購入できる予算がある人にとっては買う価値があるでしょう。
しかし、すでに何れかのiPad Proまたは2018iPadをお持ちの方にとって、あえて買い換える必要があるほどのものではないと考えます。
メルカリで、旧型を売り払うのも面倒だし…。
手間かけても、結局いくばくかの出費は避けられず、それならそのまま使った方がいい。
これ、結論。
まあ、業界にも話題が必要であることは分かりますし、各メディアがこぞって取り上げ、礼賛することに一定の理解は示します。
重要なのは、誇大な表現に対して、常に有用性を見極めること。